夫が作った木製の離乳食スプーンを手に、赤ちゃんが小さなお口をあーんとあけた様子を思い浮かべながらしばしもの思いにふけった。
全長20cm。片側はスプーン。スプーンと反対側はヘラ形になっている。通常カトラリー類は、口にしても安全なオイルを塗って仕上げるのだが、オイルは塗っていない。そしてサンドペーパーでツルッツルに磨いてある。
ある離乳食のプロ曰く、この離乳食スプーンは完成度が高いそうだ。離乳食を始める頃の赤ちゃんが食べやすいサイズと形のスプーン。器についた離乳食をきれいにすくい取ってしまえるヘラ。離乳食の頃に発症しやすいオイルアレルギーへの配慮がされていること。持ちやすさ。手触りの良さ。そして「ズバリ母親目線で作られていますネ」という彼女の言葉にちょっと驚いた。
年齢も人となりも、そして見た目も、THEオヤジと呼ぶにふさわしい夫の、どこに「母親目線」が潜んでいるのだろうか?「ズバリ母親目線」の一言に私はギャップ萌えしたのだった。
離乳食スプーンは、13年くらい前、どなたかへの出産のお祝いの品として初めて作られた。当時、息子はすでに中学生になっていて、サンプルとなるようなものがあったわけでもない。スプーンの形状も寸法も、ヘラをつけたのも、オイルを塗らなかったのも「なんとなく」という、夫の直感で作っていったらしい。
一体どういう経路で、母親目線の直感が湧いてきたんだろう?
夫の現状を眺めただけではわからない。そこで、子育て中のことを記憶の引き出しの中から引っ張り出してみると、夫の母親っぽい行動がポロポロと出てきた。
そーいえば、息子に離乳食を食べさせていたのは夫だった。
そーいえば、夜泣きする息子を抱いてあやしていたのは夫だった。(私は、泣いているのも知らずにグースカ寝ていた)
そーいえば、保育園に持って行くご飯を一口サイズのおむすびにしていたのも夫。しかもサッカーボールみたいにのりをつけていた。(私は朝起きれず寝ていたことが多々あった)
そーいえば、息子が寝るまで、何冊も絵本を読んであげていたのは夫だった。(絵本の途中でマミー寝た。と息子は毎晩夫の仕事場にお知らせに出かけていた)
そーいえば、息子の体調の変化を察知するのも早かったなあ。
夫が母親的役割をきっちり引き受けてくれていた当時を懐かしく回想して、笑った。ああ、なんとオヤジな母親だったことか。
夫の母親的目線は、オヤジな妻を持つことで育てられてきた。と言えなくもない。だが本当は、優しさや細やかさの種をもともと備えているからこそ、育ってきた目線だろう。そう考えると、夫の作品のベースとなっているものが見えてきて、夫がもともと持っている細やかさが、使う人の思いに至る作品を作りだす原点かなと思った。
結婚33年目に突入した5月のはじめ。夫にギャップ萌え。
余談。
大人に愛想笑いをしませんが、赤ちゃんにはひっそりとイナイイナイバアをします。
率先して料理をすることはありませんが、コンポストに投入する野菜は細かく刻みます。
畑作りの計画は一切しませんが、畑の管理や収穫はまめにします。ベリー類の収穫は特に好みます。
直角と平行には厳しい目を持っていますが、作業テーブルの上は雑然としています。
寡黙属ですが、突然鼻歌を歌い出します。
難しい顔をして腕組みをしていますが、何も考えていなくてぼーっとしているだけです。ご安心ください。